| 大磯軍艦漁礁内潜水艦について | |
|
|
|
| はじめに 《大磯に潜水艦が沈んでいる》このようなとてもエキサイティングな、又見たこともない潜水艦。(世界の数々の沈船は見てきましたが、潜水艦というと小笠原の特殊潜航艇位でしょう。特潜艇は小さいほうです。)それと、世界に名だたる旧日本帝国海軍イ号潜水艦、国家機密扱いが非常に多い潜水艦、などなど、潜水艦はマイナーな存在で資料がとても乏しく、大磯の潜水艦は名前もわからないのではと思われていました。しかし事実は事実、色々集めていくと、段々と分かって来ました。 |
|
| 事実関係 1、漁協関係者、及び近隣住民の話 大磯町漁業共同組合長(現在75歳)の話で、「昭和7年に漁礁事業で、横須賀から持ってきた潜水艦を沈めた。大磯の水底は砂地の為、昔から人工漁礁を投入している。」又、大磯の北下町在住の(現在45歳)男性は、「小学校の時に新聞社の人が写した白黒の写真に(たぶん記事ではなく、趣味だったようだ)潜水艦の艦橋、番号が写りその周りにハタタテダイがむれていた。」とのこと、仮にその男性が、当時10歳だとしたら1964年(昭和39年)に確認した事になる。大磯という土地柄、吉田茂元総理大臣邸があったり、旧海軍省の実力者が住んでいたりと、廃艦艇を漁礁にという事は、たやすく出来る環境があった為と思われる。 |
|
| 2、実際の潜水調査 a : 漁礁を投入した後で、何年か経過した後、その漁礁の状態、それに付いている魚種、海藻などの調査報告をする。昭和51年2月25日の調査報告書が大磯図書館に現存しており、その報告書には、「潜水艦は、本日の調査時点では、外壁がすでに破損し、骨組みのみが残っている状態であった…」とある。このことからも、潜水艦は、漁礁として現存している事になる。 b : 平成12年11月9日に本文作成者本人が、初めて確認しビデオカメラにその映像を収めた。各旧海軍資料などから艇の全長、実寸調査で判明した長さから割り出すと、海軍中型の大きさになることもわかった。 3、旧日本帝国海軍資料 防衛庁サイドより入手した「昭和7年公文備考F巻12」によると昭和7年4月1日に海軍大臣から各鎮守府長官宛に、通達が行われている。(横須賀、呉、佐世保)内容は、「各除籍艦を規定の手続きを踏み廃艦処理しなさい。」というくだりである。当時横須賀にあった「呂−11号潜水艦」が、その文章に出てくる。ということは、組合長の話とを総合してみると、横須賀から持ってきた潜水艦=「呂−11号潜水艦」となる。 4、世界の艦船 日本潜水艦史「増刊第37集 93/469」(参考資料) この本は、当時の写真やデータを数多く、掲載してあり歴史も信用もある雑誌である。その中で、目をつけていた海中1型(呂11型)が登場した。写真、全体像、要目(スペック)などは・・・ 別紙参照 |
|
| まとめ 以上のデータから、潜水艦のデータや名前が判明したわけであるが、昭和7年という年月から現在までと考えると69年の歳月が経っている(大正8年7月31日呉の海軍工廠で竣工なので正確には83年経過)ことで、当時資料の現存が少ない事、生きている方の老齢化、などの色々の問題点が発生した中の、調査であったが、この潜水艦が、世界に名だだたるイ号潜水艦のベースになったことや、その数少ないパーツを水中で見ると当時の開発に携った方たちの魂を感じ、潜水艦のとても頑丈な部分「内穀 ナイコク」に自然の生態系が根付き、とても沢山の生物の住家となっている現在、私たちの目を楽しませてくれている。「自然と人工物」が、とてもスムースにシンクロした結果、解明したと感じている。最後に各諸機関、関係者の皆様、漁協関係者の方に、この場をお借りして、お礼申し上げます。 |